神田の男の坂道の勝負っす。坂道とは言っても階段なのだ。
だけども元々の神田の町は・・・
江戸城の城下町、すなわち下町なので坂道などはなく平地であったのだ。
だいたい今の中央通りが「通り丁筋」と呼ばれていて
芝、新橋、銀座、京橋、日本橋、神田の通り沿いの町が江戸下町なのだ。
東京下町ならどこでもいいけど・・・「江戸下町」と言ったらこだわってほしいね。
明治時代になって行政的区割の「神田区」ができて
武家地から町人地が広がって本郷台地の先端の駿河台も神田区に組み込まれた。
旧神田区の範囲を現在は神田と称しているので、台地の坂道も神田の坂道なわけだ。

左は「明神男坂」 明神様の境内横から明神下へつながる。
天保初年(1830頃)に江戸町火消しの一番組の「い」「よ」「は」「万」組の奉納
とあるが本当なのかなあ??・・・と、案内板を疑ってみる。
右は「男坂」これは駿河台にある。明治中高脇から猿楽町につながる。
こちらは関東大震災後の大正13年(1924)に当時の神田区が造ったと書いてある。
割合?と新しい坂道だが、これが出来て随分と上下の移動が便利になっただろうね。

二つの坂道を上から見下ろすとこんな感じ。
「明神男坂」を下って真っ直ぐ行くと本郷通り、地元では昌平通りへ突き当たる。
近年修復をしたので石の階段が整備され、中央の手すりも綺麗で新しい。
「駿河台男坂」を下ると猿楽町、さらには神保町交差点までもすぐである。
古風な手すりが石段の両側に昔のままついているが使いづらい感じである。
歩道橋のようなのは明治中高の両側の校舎をつなぐ連絡通路であるよ。
だから一般人には無用の代物。
明治中高も移転が決まっているので、この渡り廊下も撤去されるでしょ。
さらに高層の建物でもできたら、ここの景観も大きく変わるでしょうから
この景色を拝めるのも、あと僅かな時しかないかもね。

「明神男坂」を下から見上げて正面の紅白の建物は神田明神の社務所。
右側には明神会館が見える。

駿河台「男坂」は見上げるとかなりの急傾斜で直線的。
上には浜田病院や駿台予備校やら大きなビルばかりが立ち並んでいる。
「明神男坂」は68段あって高低差はおよそ12.2mくらい。
駿河台「男坂」は73段あって高低差はおよそ13.5mくらい。
だが明神男坂には階段の途中に5つも踊り場があるのだ。
しつこいが5つもだよ。かなりな特徴と個性だと思うのだが・・・
ちなみに駿河台「男坂」には6合目くらいに1つあるだけなのだ。
踊り場ってば、女性がドレスやスカートで階段を回る時にダンスをしているみたい
ってんで「踊り場」と名づけられたらしいけど・・・
実際には休憩したり、転落防止の役割をかねているらしい。

神田明神は本郷台地の湯島台にあり江戸時代から月見の名所として知られ
かの歌川広重なども浮世絵として名高い「名所江戸百景」のひとつに描いている。
今では秋葉原の再開発で建築された無機質な高層ビルが見えるばかりである。

この石票は駿河台「男坂」の石段脇にある。「明神男坂」にはない。
柱状の案内板は千代田区の全ての坂道に設置してあるらしいが、
この可愛い石の表記は、坂道でもついている坂とついていない坂があって
以前から不思議に思っていたんだけど誰がどういう基準で設置してるんでしょうかね。
どなかかご存知でしたら、コメントでもご教示願いたいところです。
ってなわけで、二つの「男坂」を比べてみましたけど・・・
歴史とか段数とか場所とか高低差とか逸話とかいろいろ比較できるんでしょうが
勝負なしってとこでまあるくおさめましょうかね。
男の坂道の対決でしたあぁ~♪
団長