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まちブログ「永田町・麹町周辺 九段・飯田橋周辺」

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名前: machiblog2 作成日: 2008/07/07 13:42
千代田区のまちブログです

投稿者: machiblog2 投稿日: 2010/04/18 19:15

千代田のさくら祭も無事終了した4月10日。
さくら祭りのオプショナル企画で千代田区観光協会のホームページにも
紹介されていた偕香苑での香道体験会に参加しました。

まず偕香苑を説明すると、場所は紀尾井町の清水谷公園内。
赤坂見附から弁慶橋を渡り、ニューオオタニの向かいあたりにあります。
清水谷公園は北白川宮家の邸があった場所で、
明治23年に東京市立清水谷公園となったらしい。
昭和になって千代田区に移管され、「千代田区立清水谷公園」となったのだそう。

そして移管後に、故・秋元馨氏が偕香苑を建設、
以降茶室として利用され広く日本文化の伝承と地域貢献に使われてきた。
平成18年には御子息である秋元裕氏から千代田区に寄贈され、今に至る。
その偕香苑での香道体験。初めてのことなので、ワクワクで行ってみました。

4月10日pm14:30 紀尾井町清水谷公園



清水谷公園は、前述の通り弁慶橋から紀尾井町通りを進み、
ニューオータニの向かい側にあります。
今年は桜の寿命も長く、まだまだ花見の風情。


 
公園に向かって左手を進むと、偕香苑が見えてきます。


 
14:30の待ち合わせかと思ったら、もう皆さん集まっていました。
床間がある畳のお部屋に和服姿の方も数名。
伝統的な芸道の体験が始まります。


 
私以外にも初体験の方が多いようで、
まずは今回の主催者である慶風会の代表、
上村先生から香道についての説明がありました。


 
簡単な説明のあと、何よりも「体験」ということで、早速、香炉が回ります。


 
香りは「聞く」というそうです。
参加者の方は、いま聞いた香りのイメージをメモしています。


 
今日行われた組香は「八重桜香」と「山桜香」の2パターン。
組香というのは、極々簡単に説明すると、香り当てゲーム。
3種類の香りのうち、2種類を試香し、
そのあとにランダムに回ってくる3種の香りを当てるのです。


 
聞き分けた香銘を和紙の手記録に書き、折りたたんだものを提出します。


 
全員の手記録が集められ、集計が終わると、いよいよ結果発表。
採点は、下附というもので表され、私の結果は「風光る」と「壱」。
つまりは、どちらの会も一つしか当たりませんでした。残念。
でも、香炉に手のひらをかざし、香りの特徴をつかもうと意識を集中すると、
嗅覚の神経が脳天を貫くような感覚でした。
 


一通りの組香が終わったあとは、桜餅と煎茶で一服。


 
香席の窓越しに外を眺めると、ニューオータニのタワーが目の前にそびえ立つ。
こんな大都会の真ん中で、香りに集中できる静寂のスペース。
もし機会があれば、是非この偕香苑、そして香道を体験することをお勧めします。
ちょっとした異次元トリップを体験できますよ。

By悉皆屋紺哲

投稿者: machiblog2 投稿日: 2010/04/12 22:39

今年のさくら(ソメイヨシノ)も葉桜になりました。
今年ほどお花見のタイミングが難しかった年も珍しいのではないでしょうか。
暖かくなったかと思えば、真冬並みの寒さ。
そこで、来シーズンに向けて、皇居周辺で寒さにも煩わされずに
お花見ができる裏技をご紹介します。

竹橋~北の丸公園
 


早々にタネを明かせば、皇居沿いの美術館から花を愛でるという作戦。
北の丸公園に隣接する国立近代美術館の工芸館は絶好のポイントです。
まずは、東西線の竹橋駅から地上に出て、北の丸方面へ向かいました。


 
美術館へ向かう途中の看板に、
現在開催中の「所蔵作品展 近代工芸の名品-花」の案内が。
季節にあわせて、花からインスピレーションを得た
工芸作品の展覧会が開催されているようです。
桜のシーズンにあわせて4月18日までの開催です。


 
工芸館は、竹橋から千鳥ヶ淵方面へ歩き、
北の丸公園の入り口を過ぎて1~2分のところにある煉瓦造りの建物です。


 
この建物は、旧近衛師団司令部庁舎を保存活用したもので、
明治43年に建築され、昭和47年に重要文化財に指定されました。
私たちが子供の頃は、改修もされておらず、まるでお化け屋敷のようでした。
内緒ですが、こっそり忍び込んで(庭までですが)肝試しをしたことも。


 
1階の受付から入館して、正面階段を2階に上がると作品が展示されていました。
まずは、染め織りのコーナー。

工芸館では、2004年から春の花の季節にあわせた所蔵作品展を企画しています。2010年は陶磁、染織、漆工、木工、金工、そして人形のなかから、
花を主題とする約100点を紹介しています。
 
伝統的な作風のものから、現代的なオブジェまで。
バリエーションに富んでいて、どの部屋もハッとするものがあります。

 
あまり接写はできないので、どこまで素晴らしさをお伝えできるかわかりませんが、
実際に現物をご覧になるのが一番かも。


 
一通り目の保養をしたところで、2階の窓から代官町通り望むと、
今度は本物も桜の花を愛でることができます。


 
このあたりは早咲きのヨウコウから始まりソメイヨシノが散っても、
遅咲きの枝垂れ桜もあり、長い期間お花見が楽しめます。

もし、ちょっと天気に恵まれない日中に、皇居周辺へお花見に出掛ける方には、
国立近代美術館工芸館はチョットした穴場ですよ。
入館料もリーズナブルで200円。自信を持って、お勧めです。

東京国立近代美術館工芸館
所蔵作品展 近代工芸の名品-花 会期:~ 4月18日(日)
開館時間 10:00 ~ 17:00(入館は閉館30分前まで)
休館日  月曜日

By 悉皆屋紺哲

投稿者: machiblog2 投稿日: 2010/04/07 18:56

前回、アジャンタさんをご紹介したときは、
現在出店している麹町のお店のことを書かせていただきました。
→ こちら 

さて、その続編は日印の架け橋となった
アジャンタの歴史についてご紹介いたします。
昨年の秋に新聞の記事にもなったのですが、
そこには戦後日本とインド独立前後に隠された史実があったのです。

3月18日pm15:00 九段坂

日本とアジャンタ、もしくはオーナーのムールティ家との結びつきは
1932年(昭和7年)まで遡ります。
先代の兄、ラーマ・ムールティ氏がネパール国王の通訳として来日し、
大変日本を気に入り、日本に住まうことになったのです。
ラーマ氏は日本で貿易会社を経営するかたわら、
当時はまだ英国の統治下にあったインドの独立運動にも身を投じ、
運動の旗頭であったチャンドラ・ボースを支援する日本代表としても活躍しました。

ラーマ氏は日本人女性と結婚、そして、弟のジャヤ氏を日本に呼び寄せます。
このジャヤ氏がアジャンタの初代ご主人です。
ジャヤ氏もラーマ夫人の妹と結婚し、阿佐ヶ谷にカレーとコーヒーの店を出します。
これがインド料理アジャンタの出発点です。1954年のことでした。


 
1961年、より本格的なインド料理のお店を開こうと九段に引っ越しました。
上の写真は、その当時のものだと思います。
なんで九段だったのか? インド大使館がそばにあったから? 
現オーナーのジェイさんに聞くと、
「たまたま別のインド人が、その土地を提供してくれたからだと聞いています。
インド大使館は、ウチより後から九段に来たんじゃないかな」とのこと。
当時は、日本人からインド大使館に問い合わせがあると、
みんなアジャンタに回されていたらしい。


 
ここで、ちょっと時計の針を戻します。さきに触れましたが、
インド独立運動に尽力したラーマ氏は、1953年にインドへ帰国します。
そのとき、ある重大な事を弟に託したのです。
戦後史に詳しい方はご存じでしょうが、インド独立の指導者チャンドラ・ボースは、
41年にインドを脱出、ドイツ経由で43年に来日します。
そして、終戦の年の8月18日に台湾で搭乗機が墜落し、亡くなるのです。
その遺骨は、日本に運ばれ杉並の蓮光寺に安置されました。
この日本国内での経緯を差配したのがラーマ氏だったのです。
当時は終戦直後で、まだ大本営が実権を握っていましたが、
敗戦国にGHQが乗り込んでくる前に、
日本軍部とも密接な関係にあったボースの埋葬を急いだのでしょう。

ここまでは、史実として明らかにされていました。
しかし、ラーマ氏が弟に託した重大な事が、もう一つあったのです。
GHQに遺骨を押収されることを懸念したラーマ氏は、
遺骨の一部(頭蓋だったらしい)を分骨して自宅に保管したのです。
そして、インドへ帰国する際、弟にその遺骨を託したのです。

 

さて、時間は戻って現代。
インド料理の草分けアジャンタは二代目ジェイさんに引き継がれ、
アジャンタで修行したシェフたちも各地で独立をし、活躍しています。
そんな平成の世の中。日本の現政権も戦後の「密約」を検証する時代です。
ムールティ家も、ボースの遺骨を然るべき処へ戻すべきと思ったのでしょうか。
ジェイさんたちがボースの関係者を調べると、
ハーバード大学にボースの血を引くスガタ・ボース教授がいることを知りました。
その後、連絡を取り合うなか、ボース教授が遺骨を引き取ることになり、
2006年3月にムールティ家から遺骨は手渡されました。
現在は、ボースの故郷であるインド・コルカタに安置してあるそうです。


 
戦後、表に出てこなかったいろいろな事実が明らかにされつつあるように感じます。
私の知人宅からも、昨年の春に吉田茂が鳩山一郎に宛てた手紙の草稿が出てきてビックリしたことがありました。それをきっかけに、私の祖母が吉田茂の身の回りのお世話をさせていただいていた時期があったことも知りました。

そんな思いのなか、散歩がてらに九段坂周辺をブラつきました。
靖国神社の大鳥居の前は、理科大の立派な校舎ができあがりました。
上の写真のもう少し右側が、アジャンタのあった場所です。
 


靖国通りを渡って、新しく完成した千鳥ヶ淵の緑道には入ると、
インド大使館も新しくなっていました。


 
緑道から、インド大使館越しに靖国をみると、
一つの構図のなかにインド国旗と日の丸がたなびいていました。
やはり、平和はいいもんですね。
でも、そこに行き着くまでには、
いろいろなドラマがあったことも忘れてはいけないのでしょう。


千代田さくら祭りにあわせて、
インド大使館では「さくらチャリティーバザー」が開催されていました。
インド音楽やインド料理も楽しめる賑やかな企画。
知る人ぞ知る桜の季節の名物になっていました。
大使館のレセプションで聞いてみました。ところが、、、
来年もまた、桜が開花したら、皆さん、
千鳥ヶ淵で桜とカレーを味わって、アジアの歴史にも思いを馳せてくださいね。

By悉皆屋紺哲

投稿者: machiblog2 投稿日: 2010/03/04 6:14

皆さん、九段・靖国神社の入口に「アジャンタ」という
インド料理屋があったのをご存知ですか?
知っている、と答えた方は結構いいお歳かも。
大鳥居のそばからアジャンタが姿を消してから、
はや四半世紀が経つのです。
でも、アジャンタがなくなったわけではありません。
知っている人は、知っている。
二番町の日テレ通り沿いで、今でも大繁盛です。

2月16日(水)pm2:00
 

本社機能は汐留に移転してしまいましたが、
もとは麹町二番町に本社があった日本テレビ。
旧本社社屋は、いまでも「麹町分室」として、
バラエティー番組の収録などを行っています。


 
その麹町分室の正面玄関前の公開空地から小道を隔てて、
すぐ隣にあるのが、現在のアジャンタです。
オープン当初は、都内でも珍しい24時間営業のレストランでした。

玄関を入ると、1階はテイクアウトもできるカウンターと、
インド製の品々が並ぶお土産コーナーがあります。



2階に上がると、着席式のレストランです。
ちょっとインド風な色彩感覚のインテリア。
独特な雰囲気の中で、インド料理を召し上がっているお客さんは、人種もいろいろ。
周辺のオフィスから来る日本人ビジネスマンもたくさんいましたが、
近くにある大使館から来たとおぼしき外国人の方々もいっぱい。
パッと見て、会話の発音を耳にしただけですが、国籍の多さも種々雑多の様子。
さすが多民族国家インドならではの光景?

 
アジャンタのインド料理は、基本的に南インド風。
私は、なにを隠そう、昔からインド料理が好きだったもので、
日本(東京)におけるインド料理には一家言ある。
つま~り、ナンなどというものは、少し前の東京のインド料理屋にはなかった!
東京のインド料理の草分けであるアジャンタと銀座のナイルは、
どちらも南インド出身の料理なので、ナンは作らないはずなのです。
主食は、我々と同じコメ。
また、小麦粉を使うパン的なものは、チャパティであったのだ。
私の記憶によれば、北インド料理(というよりタンドール窯料理)のナンがポピュラーになってきたのは、
赤坂にモティというインド料理屋ができてからのような気がする。
(コレはコレで、美味しいのですが、、、)

 

そんな話を、アジャンタ創業者ラーマ・ムールティ氏の息子さんである
ジェイ・ムールティさんにお聞きしました。

「そうですね。ウチがインド料理を始めたころは、
ナイルさんとアジャンタの独占市場でした。その後に、アショカさんなどができました。」

アジャンタは、南インド料理ですよね?と尋ねると、
「いやぁ、ムールティ家の家庭料理ですよ」とのこと。
キーマ・チキン・マトンの定番カレー・メニューは、
ジェイさんにとっておふくろの味だったのです。

お断りしておきますが、いまではアジャンタでもナンを扱っています。
でも、ジェイさん曰く「普通のインド人より、
日本人のほうがナンという食べ物を知っていると思いますよ」。
人口の多いインドでは、然り。

最近では、中華料理店に負けないぐらい目に付くようになったインド料理店。
そのインドと戦後日本とアジャンタの繋がりについては、次回報告します。

AJANTA(アジャンタ)
千代田区二番町三番地11 
tel:03-3239-6168
営業時間:月~水・日 am8:00~翌2:00(L.O.)
     木~土   am8:00~翌3:00
定休日なし

by悉皆屋紺哲

投稿者: machiblog2 投稿日: 2010/02/03 12:56

平成22年寅年、2月3日。
昔でいえば新しい年の始まりということで
災厄をはらい福を呼ぶ節分祭が今日、区内の各神社で行われます。

午前中は、日枝神社に向かいました。

鬼を追い払って豆まきが始まります。



境内には大勢の方が集まっています。


撒かれた豆の袋の中には番号札入りのものがあり
それが当たりだそうです。後ほど景品と引き換えできるとか。

大関琴光喜関をはじめ、角界のみなさんが力強く豆を撒きます。


永田町・赤坂ということで国際色も豊かです。



あでやかな振り袖姿も節分の祭事に花を添えていました。


投稿者: machiblog2 投稿日: 2010/01/14 22:51

伝統的な建物と現代的なガラス等が連結して
とても印象的な靖国神社内にある博物館"遊就館"

 

平成22年1月17日まで新春刀剣展が開催されています。
この刀剣展は遊就館の無料開放エリアで催されているので
無料で観覧できます。



刀はモノですが、見つめているとなにかスピリチュアルなものを感じてしまいます。



細かく細工された刀の鞘なども展示されています。



小倉百人一首ならぬ、小刀百人一首。



この遊就館、売店がなかなか優れもので
自衛隊関係のおまんじゅうや缶詰などが目を引きます。





さすがに自衛隊土産として有名な
ロシアンルーレットまんじゅうは見当たりませんでした。

無料エリアではゼロ戦など大きなものも展示されています。

投稿者: machiblog2 投稿日: 2010/01/03 9:07

大手町周辺の観音堂に平将門を祀っていた津久戸大明神が起源といわれ
その後太田道灌が江戸城北西(乾)の地に鎮守として造営しました。
神社の位置は田安、牛込、筑土八幡町、富士見へと移り昭和29年に現在の九段に。



ビルの谷間の厳かな空間には、初詣の人が次々訪れていました。

投稿者: machiblog2 投稿日: 2010/01/03 8:59

千代田区平河町に鎮座する平河天満宮。



太田道灌が現在の皇居東御苑梅林坂付近に建立し、
江戸城築上の際に現在の場所に遷されたといわれています。

天神様ということで、牛が連なっています。



1月も後半になれば境内には梅が咲き始めます。(写真は昨年1月26日)

投稿者: machiblog2 投稿日: 2010/01/01 15:00

快晴の平成22年1月1日。日枝神社にいってきました。

鎮守の杜の雰囲気のある日枝神社。
山王男坂から参拝します。



境内では寅年の干支の大絵馬展。



三ヶ日に丹塗矢(にぬりや)をお受けになった方には、
開運招福の神楽(巫女舞)を ご奉仕されます。
それをお知らせする看板はちょっと萌の雰囲気。







境内には御神酒の振る舞いもあります。



赤坂方面からはエスカレーターでお社まで登ることができます。



山王下の鳥居の両脇にはフユザクラが咲いていました。

投稿者: machiblog2 投稿日: 2010/01/01 14:16

靖国神社には初詣の楽しみが盛り沢山です。
もちろん、年のはじめに神様・ご先祖様を思い神社を詣でるのですが・・・

まず、広い境内にはたくさんの露天が初詣客を誘います。



拝殿まで境内は賑わっています。



拝殿付近では、全国から奉納される酒造業者の銘柄(ラベル)が展示されています。



そして、見ものは全国の神社の奉納絵馬展。
全国およそ300の神社から奉納された絵馬が飾らています。

 

 

拝殿そばには靖国ジャンボ絵馬。
横2.76m、高さ2,19mもある巨大な絵馬は今や靖国名物。



拝殿前では、元旦に御神酒の振る舞いがありました。



1月4日までは、靖国会館の前で甘酒が振舞われています。



拝殿前の神札所にはたくさんのお札が。



本殿に参拝された方には、遊就前で福引。



拝殿前の華席では華道各流派の奉納展が開かれています。



能楽堂では全国の伝統芸能が連日奉納されています。

1月3日、午前10時から能楽堂前で新春弓始の儀式が行われます。
催し盛り沢山な靖国神社です。

 

一般社団法人 千代田区観光協会