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※半蔵門通信の情報は、半蔵門総合研究所のご協力をいただいています。

 

第98回 見附門外の仇討ち 

四谷門
四谷塩町で1824年仇討ちがありました。高﨑のある足袋職人が口論のすえ殺されました。幼小の息子宇市が長じて剣術の腕を磨き、犯人をこの地で突き止め仇討をしました。武士以外にも仇討があった例です。
市谷門
地続きの市ヶ谷では、浄瑠璃坂の決闘がありました。江戸初期の寛文12年(1673)奥平源八が協力者50人とともにこの坂にあった屋敷に討ち入り、親の仇奥平隼人を討ちました。伊豆大島に遠流の処分になりましたが、6年後赦免となり、一族安泰となった。忠臣蔵の先例となったと言われます(四十七士の場合は切腹)。
筋違門
明治3年、水戸藩の住吉兄弟が京都で殺害されて父の仇である高知藩士をこの門外で討ち取りました。 仇討禁止令 近代化を進める明治政府は、明治6年太政官布告にて「・・・人を殺す者を罰するは政府の公権である・・」とし仇討禁止令を出しました。 従来、日本の慣行とされ、美化されてきた敵討ちは、犯罪とされました。
最後の仇討ち
明治13年秋月藩士が両親を 殺された事件がありました。 しかし、長男は探索のすえ、犯人を 突き止め、禁止にもかかわらず仇討をしました。その結果、裁判により終身刑の判決を受けました (10年後大赦)。 それまで仇討は美談視されましたが、悪用や感情にも利用されたことがあったようです。

連絡先:半蔵門総合研究所 徳光 s.tokumitsu@mountain.ocn.ne.jp



                 

   
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