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「日本工房」が見た日本 ―1930年代― (JCIIフォトサロン 主催)

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日時 2013年12月3日(火)~12月25日(水)
10:00~17:00
休館日 毎週月曜日 (ただし、祝日の場合は開館)
場所 JCIIフォトサロン (一番町25 JCIIビル1階)
アクセス 半蔵門線「半蔵門駅」4番出口・徒歩1分
有楽町線「麹町駅」3番出口・徒歩8分
入館料 無料
主催 JCIIフォトサロン
お問合せ先 JCIIフォトサロン
TEL:03-3261-0300
ホームページ

http://www.jcii-cameramuseum.jp/

イベント内容

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「日本工房」が見た日本 ―1930年代―

「工人の手」土門拳 (『NIPPON日本版』1巻1号(1938年)より)

「日本工房」は、わが国で初めて報道写真を標榜して1933年に結成された制作集団です。ヨーロッパのグラフ誌で活躍していた報道写真家の名取洋之助がドイツから日本へ拠点を移し、写真家の木村伊兵衛、デザイナーの原弘、プランナーの岡田桑三、美学研究者の伊奈信男を誘って創られました。1934年に木村らは脱退して「中央工房」を始めますが、名取は海外への写真配信を続けると同時に、対外宣伝グラフ誌『NIPPON』を創刊して組織を発展させていきました。以降、写真を使った新しいコミュニケーション手段を探る彼の指揮により、写真家の土門拳、藤本四八、小柳次一ら、デザイナーの山名文夫、河野鷹思、亀倉雄策らがここで活躍しました。

今回ご覧いただくのは、1938年前後に土門、藤本らが日本工房で撮影した作品です。ベルリン国際手工業博覧会のために撮影された人形職人の手わざ、『NIPPON』で紹介された近代的な病院建築、内閣情報部のグラフ誌『写真週報』で特集された赤十字看護婦など、さまざまな媒体で使われた名作です。同工房は終戦後間もなく解散しましたが、写真ネガは名取の手元に残されて1950年代に彼が編集長格を務めた岩波写真文庫でも使われました。『戦争と日本人(岩波写真文庫101)』の表紙に掲載された英霊の帰還行進は、優れた報道写真であるだけでなく、名取の仕事を考える上でも重要な作品と言えましょう。

激動の時を経て、写真は多くを語りかけてきます。報道写真の先駆者が集まった日本工房の作品が伝える1930年代日本を、どうぞごゆっくりご鑑賞ください。


日本工房(にっぽんこうぼう、1933-1945)
ヨーロッパのグラフ誌で活躍していた報道写真家・名取洋之助が、写真による尖端表現を模索していた木村伊兵衛、原弘、岡田桑三、伊奈信男を誘い、わが国で初めて「報道写真」を標榜する制作集団として1933年に発足。「ライカによる文芸家肖像写真展」などを開催後1934年に木村らが脱退。名取は海外への写真配信業の傍ら、同年10月に、英・仏・独・スペイン語による対外宣伝グラフ誌『NIPPON』を創刊。以降、名取の指揮の下、スタッフカメラマンの土門拳(1935年から1938年まで在籍)、藤本四八(1937年から1945年まで在籍)、小柳次一(1937年から1945年まで在籍)ら、デザイナーの山名文夫(1933年から1936年まで在籍)、河野鷹思(1934年から仕事に携わり1937年から1940年まで在籍)、亀倉雄策(1937年から1945年まで在籍)らが、財団法人国際文化振興会や内閣情報部、陸軍、貿易組合中央会などの発注によるグラフ誌などの仕事に携わった。1939年に拡大改組して国際報道工芸株式会社となり、一時は80名を越すスタッフが在籍したが、1943年に国際報道株式会社と改称し、1945年の終戦後間もなく解散。日本工房で育った人々が戦後も活躍して一時代を築いたことから、わが国報道写真とデザインの源流と言われている。
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JCIIフォトサロン MAP

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