千代田を駆け巡る、坂の上の雲 ~第1章~ 「騎兵の父」となった男の足跡を残した町  そして、多くの文学者の住んだ町 ~飯田橋・九段・麹町~  「騎兵の父」といわれた男秋山好古は、麹町区土手三番町(現在の5番町)の佐久間正節という旧旗本の屋敷に下宿していました。その佐久間家の娘多美と日清戦争開幕の1年前に結婚しました。 また、この町には、正岡子規と交流のあった、高浜虚子や与謝野鉄幹などを含む多くの文学者が住んでいました。
坂の上の雲マップ ~飯田橋・九段・麹町~
与謝野鉄幹・晶子住居跡の標柱
 
千代田区富士見2-14-23 東京逓信病院管理棟

JR中央線飯田橋駅西口より徒歩5分・地下鉄東西線/大江戸線飯田橋駅A4出口から徒歩約9分・地下鉄有楽町線/南北線飯田橋駅B2a出口から徒歩約6分

東京逓信病院へ飯田橋駅から向かうと、病院手前にある植込みに「与謝野鉄幹晶子居住跡」の標柱と説明板が立っています。大正4年から8年ほどここでくらしていたようです。与謝野鉄幹は正岡子規とは不仲でした。その鉄幹の妻が与謝野晶子です。
(千代田まち事典より)
 

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高浜虚子旧居住地・俳句碑
 
千代田区富士見二丁目17 法政大学あたり

現在法政大学があるあたり麹町区富士見町四丁目8(千代田区富士見二丁目17)に高浜虚子は8年ほど住んでいました。法政大学の横にある三輪田学園(千代田区九段北3-3-15)の正面むかって左角に、高浜虚子の俳句碑があります。碑には『六百五十句』の中の「蔓もどき情はもつれ易きかな」と彫られています。俳句碑は、二代目校長三輪田元道氏に虚子から俳句を送られたことを記念して昭和34年に作られたそうです。
(情報提供:三輪田学園
麹町わがまち人物館より)
 

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靖国神社
 

千代田区九段北3-1-1

JR中央線/総武線各駅停車飯田橋駅西口・市ヶ谷駅より徒歩10分・地下鉄東西線/半蔵門線/都営新宿線九段下駅出口1より徒歩5分・有楽町線/南北線/都営新宿線市ヶ谷駅A4出口より徒歩10分・東西線/有楽町線/南北線「飯田橋駅A2出口、A5出口より徒歩10分

靖国神社大石燈籠の下には日清戦争~日露戦争のレリーフがあり、東郷平八郎、広瀬武夫(秋山真之の親友)の姿が刻まれています。靖国神社遊就館には、万世橋駅にあった広瀬武夫の像の縮小レプリカや、手紙が展示されています。

(情報提供:靖国神社

 

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靖国神社
 

千代田区九段南2-2-18 九段坂公園内

地下鉄東西線・半蔵門線・都営新宿線鉄九段下駅2番出口より徒歩2分

大山巌は、日清戦争では第二軍司令官として旅順、威海衛を攻略し、日露戦争では満州軍総司令官として、陸軍を勝利に導き国民的英雄となりました。
巌は秋山好古の意見書を元にして作戦を立てたこともあり、陰で大山を好古は支えていました。
(NHKスペシャルドラマガイド・千代田区史跡散歩より)

 

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靖国神社
 

千代田区三番町6-16 

地下鉄東西線・半蔵門線・都営新宿線九段下駅より徒歩8分

卒業生には夏目漱石、橘周太、犬養毅、中江兆民等がいます。第三代舎長は渋沢栄一、第五代舎長は吉田茂など著名な人が多く関わっています。
二松學舎大学ホームページより)

 

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東京家政学院
 

千代田区三番町22 東京家政学院

JR 中央線・総武線/市ヶ谷駅から徒歩約8分・ 地下鉄 有楽町線/南北線/ 新宿線/市ヶ谷駅A3番出口から徒歩約8分・地下鉄半蔵門線半蔵門駅5番出口から徒歩約8分・地下鉄東西線九段下駅2番出口から徒歩約12分


「村田銃」の発明家村田経芳が東京家政学院旧体育館あたりの九段南3-3-6(三番町22)に住んでいました。村田銃は諸外国で使用されていた銃を集め研究して完成したもので、その威力は日清戦争で発揮しました。
また、与謝野鉄幹晶子夫妻は、現在の東京家政学院の本館のあたり上六番町45(三番町22)に1年あまり住んでいたこともありました。ここは、与謝野鉄幹らによる雑誌「明星」創刊の地に当たります。
東京家政学院は現在改修工事中で写真は完成予定の校舎です。
(麹町わがまち人物館・千代田まち事典より)
写真提供:学校法人東京家政学院

 

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東郷元帥記念公園
 
 千代田区三番町18

JR市ヶ谷駅より徒歩10分

東郷平八郎は、日露戦争でロシアのバルチック艦隊を壊滅させ、「東洋のネルソン」と称されました。
その東郷に「智謀湧くがごとし」言われたのが、参謀を務めた秋山真之でした。東郷が明治14年から53年間住んだ邸宅跡が現在の東郷元帥記念公園。公園の中央に邸宅では、玄関にあったと伝えられる、米寿の祝いに贈呈された石造りのライイオンの像があります。

(千代田区史跡散歩より)
 

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秋山好古下宿先
 
 千代田区五番町あたり

JR市ヶ谷駅、四ツ谷側付近

陸軍士官学校入学のために上京した秋山好古は、麹町区土手三番町(千代田区五番町)の佐久間正節という旧旗本の屋敷の離れに下宿していました。その後麹町区下二番町二八番地(麹町区平河町等)近くで移っています。真之も一時、一緒に住んでいたことがあります。
(司馬遼太郎「坂上の雲」・楠本誠一郎「秋山好古と秋山真之日露戦争を勝利に導いた兄弟」より)写真提供:国立国会図書館
 

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海軍予備校跡
 
千代田区麹町3-8  麹町学園女子あたり

地下鉄有楽町線麹町駅より1分・半蔵門線半蔵門駅より2分

ここ麹町学園女子のあたりは、海軍予備校が創設された場所です。海軍予備校は現在の海城中学・高等学校です。この場所は四つの学校(海上学園 暁星学園・実践女子学園・麹町学園女子)の発祥地となっています。海軍兵学校に入るための予備的学校は人気がありました。乃木大将の妻乃木静子は麹町女学校を卒業しましたが、創立当時の麹町学園女子は麹町女学校という名だったこともり、ここの流れをくむ学校を卒業したのではないかという話も伝わっています。
(新版「現代番町麹町絵図」より)
 

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与謝野鉄幹・晶子旧居住地まちの記憶保存プレート
 
千代田区四番町9番地あたり

地下鉄有楽町線麹町駅 5・6番出口より徒歩3分・半蔵門線半蔵門駅 5番出口より徒歩6分
    
与謝野鉄幹は正岡子規とは不仲でした。その鉄幹の妻が与謝野晶子です。その二人が4年間住んだ家が、麹町区中六番町7にありました。
(新版「現代番町麹町絵図・麹町界隈わがまち人物館より)
 

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高浜虚子旧居地
 
千代田区一番町2番地あたり

地下鉄半蔵門線半蔵門駅 5番出口より徒歩5分

正岡子規をしたい、献身的に看病をし、後継者にと望まれた、俳句界の巨匠高浜虚子。虚子は娘の俳人星野立子らとともに五番町3に住んでいました。
(司馬遼太郎 坂の上の雲・新版「現代番町麹町絵図」より)
 

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旧近衛師団司令部庁舎
 
千代田区北の丸公園1-1現在の東京国立近代美術館工芸館
竹橋駅1b出口より徒歩3分・九段下駅より徒歩12分

旧近衛師団司令部庁舎は代表的な明治洋風建築で、国の重要文化財に指定されています。秋山好古は大正4年(1915年)に近衛師団長を拝命しました。
(千代田まち事典・千代田区史跡散歩・楠本誠一郎「秋山好古と秋山真之日露戦争を勝利に導いた兄弟」より)
 

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陸軍大将乃木希典の歌碑
 
千代田区九段南1丁目6-5 九段会館

九段下駅4番出口より徒歩1分

九段会館の屋上には、乃木希典の歌碑が立っています。
ドイツ留学中の乃木が軍事視察でフランスに立ち寄った際、フランス留学中の秋山好古が通訳として案内しました。明治39年には、乃木は好古に個人感謝状を授与しました。九段会館は2.26事件の戒厳司令部が置かれた場所でもあります。
(千代田まち事典・千代田区史跡散歩・楠本誠一郎「秋山好古と秋山真之日露戦争を勝利に導いた兄弟」より)
 

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弥助砲
 
千代田区九段南1丁目 九段下交番横

九段下駅4番出口よりすぐ

大山巌(旧名弥助)が明治18年に考案し、村田銃の発明で知られる村田経芳陸軍少尉に作らせた大砲の砲身。当時としては珍しく、射程距離が300メートルあったと伝えられています。大山弥助砲兵大隊が日清戦争に使用したことで有名になりました。
(千代田区史跡散歩より)
 

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蕃所調所跡の説明板
 
千代田区九段南1丁目   昭和館あたり

九段下駅4番出口よりすぐ

九段会館の庭園だったところは昭和館になりましたが、その昭和館あたりは江戸時代に「蕃所調所」がありました。ここは後に一ツ橋御門外に移り、「洋書調所」に、さらに「開成所」、「大学南校」と名前が変わって東京大学に統合されました。
(千代田まち事典より)
 

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一般社団法人 千代田区観光協会