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ちよだの人々

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第11回

鳥取県知事
平井 伸治さん



平成22年の第1回目の月刊千代田人。 新年を飾るべく、鳥取県知事の平井伸治さんにインタビューしました。 平井知事は神田明神下の出身。 千代田区の霞ヶ関(総務省)勤務を経て平成19年鳥取県知事に当選。 神田っ子の平井知事に子供時代の神田や 神田祭りの想い出などを伺いました。
平成22年の第1回目の月刊千代田人は
千代田区外神田出身の平井知事にお話しを伺いました。

平井知事、明けましておめでとうございます。

あけましておめでとうございます。

知事は神田のご出身ということですが まず、知事の子供時代の思い出からお聞かせください。

私は、まさに明神下、五軒町。今の外神田六丁目の出身です。 子どもの頃には、まだ手焼きのせんべい屋さんが残っていましたね。 その頃の神田界隈は、まさに映画「ALWAYS 三丁目の夕日」の世界。 隣の家にお醤油を借りに行ったり、 テレビを入れた家があったら、みんなで東京オリンピックを見たりとか。 当時は、いわゆるガキ大将時代でした。みんなで群れて秋葉原界隈で遊んだり、近くの芳林公園で野球をしたり。神田明神の境内では「ギャングと警察」なんていう遊びをしていました。 小学校も高学年になると神田鎌倉町の総合体育館までいって卓球をしたりそれから大手町の逓信博物館にも通いましたね。 千代田区というと大都会の真ん中という印象がありますがコミュニティの温かさがありますね。 母校は芳林小学校でした。コンクリートの小さな校庭しかありませんでしたが、いろいろと思い出がありますね。 神田祭は表と影のお祭りがあるのですが2年に一度の表の神田祭のときに先生がこぼしていましたね。「この時期は授業にならない」と。

秋葉原もお近くですが、変貌ぶりはいかがですか。

子どものころはラジオセンターやラジオ会館で部品からラジオを作って喜んでいました。最近はだいぶ様変わりして、当時の秋葉原の想い出と結びつかないところがあります。

秋葉原らしさというと、「アニメ」や「サブカルチャー」「萌え」 というように捉えられるようになってきました。

「アニメ」「サブカルチャー」や「萌え」もひとつの文化かなと思います。特に外国人の方にとっては今や 日本文化の代表格のような存在になっているように感じます。それらが地域とどう共存していくかが大切ではないでしょうか。 鳥取でも「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげる先生の出身地ということで キャラクターを取り入れたまちづくり・地域おこしを進めています。3月には水木先生の奥様の自伝がNHKの朝の連続ドラマで放映され鳥取県の境港市なども舞台として登場します。アニメのキャラクターと地域が良い関係で連携しています。

その他に神田界隈の想い出はありますか?

私の家の近く、神田須田町には昔、都電が集結していました。あちこちで都電が廃線になるなかで須田町から上野公園を抜けていく都電が最後まで残っていました。それが大好きで、乗るほどの距離ではなくてもよく利用していました。 廃止のときは本当に悲しかったですね。都電最後の日、お小遣いをはたいて花束を買いました。須田町で降りるとき、チンチン電車の運転手さんに花束を渡したら、すごく喜んでもらいました。いまでもその時のことは鮮明に覚えています。


昭和45年(1970)3月須田町交差点から万世橋方面(万世橋町会塚田一郎さん提供)

神田祭についてもう少しお聞かせいただけますか

神田に住んでいて一番印象に残っているのが明神様のお祭りですね。2年に一度この祭りは本当に楽しみでこども神輿の時代から社会人になってもしばらく担いでいましたね。担がないと住めないなんて雰囲気もありましたけれど(笑)

朝から晩まで続く明神様への宮入は神田祭のクライマックスですが、知事はいかがでしたか?


知事はいかがでしたか?そうですね、宮入が最高潮なのですが、明神下の坂の順番待ちが大変でした。しかし、鳥居をくぐり随神門から見物の方々でごった返す境内に入る。そこで、威勢よく宮入してお祓いを受ける。明神様と一体になるような感激がありました。 それから、お祭りの経験が役立ったのは大学の学園祭です。模擬店をやろうということになって何が良いだろうと考え、明神下の天野屋のご縁を頼りに特別に甘酒を分けてもらって販売した覚えがあります。とても評判が良かったですね。

 

社会人になってからの千代田区との関わりはいかがですか?

旧自治省ですので職場は霞が関でした。最近、霞が関もずいぶん建て替えが進み文部省のあたりもだいぶ変わってきましたね。交流機能も充実し、だいぶ垢抜けてきました。それと同時に役所としての機能も充実してきましたね。

知事、今年の夏、鳥取の米子城跡がライトアップされました。 実は、その照明は、千代田区の千鳥ヶ淵の桜を照らした省電力のLED照明だったのです。 そんな関わりも含めて、鳥取と千代田区の関係についてお話をお伺いしたいのですが

そうでしたか。それは知りませんでした。 LEDは指向性が強いのでライトアップは難しいと聞いていました。 すばらしい技術ですね。 そんなところにも繋がりがあったのですね。 いやー、実は、鳥取にいって初めて気がついた千代田とのかかわりがいくつかあります。 神田明神のご祭神に大黒様がいらっしゃいますね。門のところに大黒様と白うさぎの彫刻があるのですね。子供の頃、多分いつもそれを見て遊んでいたんだろうと思います。まさに、鳥取の東部、因幡の白ウサギの神話と小さいころから知らず知らずに接していたわけです。

それから、「南総里見八犬伝」ご存じですよね。房州、いまの千葉が舞台の歴史活劇として知られているのですが、もともと史実がからんでいるのです。 里見家が転封されたのが鳥取の倉吉。実は、倉吉には八犬士のお墓があるんです。その史実を活劇にしたのがご存じの滝沢馬琴。 そこで、あれ?と思ったのですが子供のころ野球をしていた芳林公園。そういえば、あそこに「滝沢馬琴住居跡」という標柱があったなあと気がつきました。鳥取で滝沢馬琴の話がでると「どこに住んでいたのか知ってますよ」と言うんです。すると、みんなびっくりしますね。さすがにそこで野球をしていたとは言いませんが(笑) 都市と地方、千代田と鳥取お互いに補い合う存在ですね。千代田区だけではご飯が食べられないですよね。鳥取は食材の宝庫です。米・野菜・果物・魚・肉どれも一級品です。夏は日本海の岩牡蠣。それから自慢は鳥取すいかです。すいかは、普通はカンピョウを台木にしてすいかを接木するのですが台木用のすいかを鳥取県で開発しました。その名も「どんなもん台」(笑)鳥取すいかは中東のドバイやロシアでも大好評でブランドになりつつあります。

それから、らっきょう。らっきょうはラベンダーのような花が咲きます。なんといっても冬は松葉がに。鳥取のおしいものを、皆さんに堪能してもらいたい。そんな想いで、昨年、千代田区の新丸ビル丸の内ハウスで鳥取の食材のイベントを実施していただきました。とても好評でした。

それから千代田区内ではないのですが、すぐ近くの新橋にはアンテナショップがあります。あまり、東京で出回わらない食材もありますのでぜひおいでください。 23区で一番人口が少ない千代田区と47都道府県で一番人口が少ない鳥取県。神田出身の私が知事というのも何かの縁ですからいろいろな交流ができるといいですね。

最後に知事が千代田区で印象にのこっている風景を教えていただけますか。

やはり、自分の原風景は、随神門からのぞむ明神様でしょうね。そして、今はなき都電。 末広町から総武線の黄色い電車をバックに都電が走っている姿が今でも目に焼き付いています。

平井知事、今日は本当にありがとうございました。

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一般社団法人 千代田区観光協会