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龍馬に会う。坂本龍馬が駆け抜けた時代を巡る。 写真/外桜田門から国会議事堂を望む

 


江戸時代、日本は、鎖国により伝統文化を守ってきました。ところが、1853年、アメリカ東インド艦隊司令官ペリーが浦賀に来航。脅威を感じた幕府は、外国から江戸を防衛するため、1854年、品川台場(現お台場海浜公園)を急造。1856年には、洋書の翻訳を中心に、海外事情の調査研究および教育を目的とした 蕃書調所 を九段下に開設しました。

しかし、外国に弱腰な幕府は、尊王攘夷(天皇を尊び異国を打ち払う) 派に対し、大老、井伊直弼が、厳しい弾圧(安政の大獄) を加え、老中安藤信正が公武合体政策を行いました。ところが、長州藩と外国船で事件(下関事件、薩英戦争)が起きると、尊王攘夷(天皇を尊び外国を打ち払う) の中心にあった長州藩や薩摩藩は、外国勢力の実力を見せつけられ、攘夷(外国を打ち払うこと) が不可能なことを悟り、倒幕運動へと転換していきました。


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藩書調所跡
千代田区九段南1-6

1853年(嘉永6年)、アメリカ東インド艦隊司令官ペリーが浦賀に来航しました。洋学研究の必要性を痛感した幕府は、洋書の翻訳を中心とした海外事情の調査研究および教育を目的に、1856年(安政3年)、蕃書調所 を九段下に開設しました。大村益次郎 も教授方手伝いとして招かれました。その後小川町、一橋門外へ移り、明治維新後は大学南校となり、東京大学へと発展しました。
藩書調所跡

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品川弥二郎
千代田区九段南2-2-18 九段坂公園内

品川弥二郎 は、長州藩出身の政治家。吉田松陰 の松下村塾、斎藤弥九郎の練兵館で剣術を学びました。のちに練兵館の同門であった高杉晋作らと尊王攘夷運動に参加。明治維新後は、明治政府に仕え、明治24年、松方内閣の内務大臣。翌年第二回選挙で民党をおさえる選挙干渉を行ったことを非難され辞任。晩年、吉田松陰 の遺志を継ぎ、京都で勤王志士の霊を祀るとともに、志士の史料を集めました。
品川弥二郎 銅像
明治33年 九段の常燈/国立国会図書館提供 明治36年 陸軍偕行社/国立国会図書館提供 

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大村益次郎
 千代田区九段北3-1-1   靖国神社 境内

大村益次郎 は、周防(山口県)生まれ。蘭法医、兵学者で、日本初の洋式軍艦を設計建造しました。安政3年、麹町新道壱番町(現三番町2番地・千鳥ケ淵戦没者墓苑の西)に私塾「鳩居堂」を開きました。蕃書調所 の教授方手伝い他、慶応4年(1868)の戊辰戦争の上野の戦闘で総司令官として指揮をとりましたが、46歳で暗殺されました。
大村益次郎 銅像
明治44年 靖国神社/国立国会図書館提供 明治26年 東京九段坂/国立国会図書館提供

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斎藤弥九郎の練兵館跡
千代田区九段北3    靖国神社 境内

斎藤弥九郎は、千葉周作、桃井春蔵と共に、幕末の三剣士とうたわれました。斎藤弥九郎は、天保9年(1838)、練兵館と称した道場を、現在の靖国神社の南門のある辺りに建てました。この道場には後に、木戸孝充と改名した桂小五郎も入門。その後、明治2年東京招魂社地内となったため、牛込見附内に移転しました。

(千代田区『史跡と観光』より)
靖国神社境内 斎藤弥九郎 練兵館跡

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喰違見附跡
千代田区紀尾井町5
(四谷駅前交差点から南へ500m、紀尾井ホール前あたり)
 
JR四ツ谷駅から外堀沿いに道がジグザグになっているので、この名前があります。他の見附が枡形(ますがた:四角い箱型)であるのに対し、ここは地形を生かし、木戸だけが設けられていた見附でした。明治7年(1874) 右大臣 岩倉具視 が武市熊吉らに襲撃されましたが、急な斜面の濠に落ちて、あやうく難をまぬがれました。

(千代田区『史跡と観光』より)
岩倉具視 襲撃現場
喰違見附解説 喰違見附下の濠まで急斜面

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近江彦根藩井伊家屋敷跡
千代田区紀尾井町4-1
ホテルニューオータニ東京 敷地内

幕末に幕政を動かした井伊直弼の屋敷には、近江彦根藩井伊家の麹町邸がありました。井伊家は、外桜田にあった永田町邸(国会前庭一帯) を上屋敷として使用し、ここは中屋敷として使われていました。井伊家は、諸大名の筆頭であり、大老職に任じられる名家でもありました。

(千代田区『史跡と観光』より)
 
近江藩彦根井伊屋敷跡  (喰違見附裏辺りの屋外駐車場) 

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清水谷公園


千代田区紀尾井町2  

大久保利通 は、廃藩置県(大名の大量リストラ)の中心人物。明治11年(1878)5月、裏霞ヶ関の邸から、赤坂仮御所に出勤するため、紀尾井坂下の石橋付近(清水谷公園あたり)にさしかかりました。すると突然、馬の鳴き声と共に馬車が傾きました。大久保利通 が馬車の外に出ようとした時、「思い知れ!」大久保利通 は一突きに刺され、
殺害されました。

(千代田区『おはなし千代田』より)

大久保利通についての解説

右大臣大久保公哀悼碑

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井伊掃部頭屋敷跡

千代田区永田町1-1

元は加藤清正の上屋敷でしたが、寛永9年(1632)、二代目忠広のとき、屋敷を取り上げられ、以後井伊掃部頭の上屋敷となりました。明治24年(1891)、現在の憲政記念館公園内に日本水準原点標庫 が設置され、日本全国の海抜高度標準起点となっています。昭和35年、ここに憲政記念館 が設けられました。桜の名所でもあります。

(千代田区『史跡と観光』より) 

国会前交差点近くにある、井伊掃部頭屋敷跡と桜の井
憲政記念館 日本水準原点標庫

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桜の井、柳の井
千代田区永田町1-1  桜田濠沿い

井伊掃部頭屋敷跡にある桜の井とともに、江戸名所図会にのせられた名井です。桜の井は、元々井伊家の石垣のもとにあり、柳の井は、若葉のまたは柳の水とも称し、濠端の土手を下ったところにあります。現在、残念ながら、これらの井戸は形だけで、水はでません。

(千代田区『史跡と観光』より)
桜田濠沿いの柳の井 
 柳の井、桜の井、解説 柳の井は面影だけで水はでません。

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外桜田門
千代田区皇居外苑1 

万延元年(1858)、幕府の大老、井伊直弼らは、朝廷の許しも得ず日米修好通商条約に調印し、独断で徳川家茂を将軍の跡継ぎに決めました。吉田松陰  らが処刑された「安政の大獄」は、井伊直弼がこれらの諸策に反対する者たちを弾圧した事件です。これにより、井伊直弼は、1860年、水戸藩浪士らに、桜田門外 で暗殺(桜田門外の変)されました。
 
外桜田門
明治44年 桜田門ヨリ参謀本部ヲ望ム/国会図書館提供 外桜田門から国会議事堂を望む

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【写真提供(順不同)】 国立国会図書館 (②-左下:明治33年 九段の常燈/②-右下:明治36年 陸軍偕行社/③-左下:明治44年 靖国神社/③-右下:明治26年 東京九段坂/⑩-左下:明治44年 桜田門ヨリ参謀本部ヲ望ム)

【参考文献(順不同)】 坂本龍馬地図帳(人文社)/坂本龍馬歴史大事典(新人物往来社)/坂本龍馬伝(新人物往来社)/海はるか坂本龍馬 (京都新聞出版社センター)/三菱のあゆみ((財)三菱経済研究所付属三菱史料館)/岩崎彌太郎小伝((財)三菱経済研究所付属三菱史料館)/岩崎彌之助小伝((財)三菱経済研究所付属三菱史料館/龍馬を継いだ男 岩崎弥太郎(アスキー書房)/岩崎弥太郎 上(学陽書房)/岩崎弥太郎 下(学陽書房)/猛き黄金の国 岩崎弥太郎 一(集英社文庫)/猛き黄金の国 岩崎弥太郎 ニ(集英社文庫)/現代語抄訳 言志四録(PHP)/吉田松陰(講談社 火の鳥伝記文庫)/中学社会 自由自在(受験研究社)/史跡と観光(千代田区)/おはなし千代田(千代田区)/千代田まち事典(千代田区)

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